2008年8月14日木曜日

頑張る国・日本

日常的に使う「頑張る」という言葉。何だか美しいその響きと虚しさとのギャップについてこの頃よく考えさせられます。あ、別にそういうやり切れなさで悩んでるとかいうわけじゃないので、軽い気持ちで読んでください(笑)。

「頑張れ」「頑張ってみます」よく言いますよね。以前受けてた「対照言語学」という授業で、日本語は結果より途中経過を重視する言語だと習いました。英語はその逆です。例えば「説得する」という言葉は日本語では説得の末に相手が意見を変えたかどうかは分かりません。でも英語では"persuade"(説得する)というと相手を説き伏せるという結果まで意味するのです。そういうわけで、「頑張る」っていうのは正に途中経過を重視してますよね。日本語らしい表現やなぁと思います。

それで気になったのが、日常生活において「頑張る」ことはちゃんと評価されてるのか?ということです。前に就活で苦しかったときに、就活は頑張りが報われないと書きました。実は他にもそういうことってあるんです。テレビとかでオリンピックではメダルが取れなければダメなような言い方をときどき耳にします。オリンピックに出られるだけで素晴らしいのに、何でメダルにそこまでこだわるん?と思ってしまいます。4位以下の選手もこの大会に向けてどれだけ頑張ってきたことか。2004年アテネ五輪のとき「特ダネ」の某アナウンサーが「この種目は銅しか取れなかったけどまぁ良しとしましょうか」と言ったときに憤りを感じたことを思い出しました。一体何様のつもりやねん!と高校3年の私は思ったのでした。

日本語はさっき書いたように途中経過に目を向ける言語だとしても、世の中は結果重視だと思うんです。企業の成果主義、根本から理解してなくても暗記だけで点が取れる学校のテスト。途中経過は軽視されている。言語に基づくこの無意識的な考え方と現実がねじれてることに問題があるんじゃないでしょうか。

この矛盾をどちらかに統一した方がいいと思います。途中経過と結果のどちらに重きを置くか。数字で計れない頑張り具合を評価するのは難しいと思うけど、日本人のこの頑張り重視の考え方を活かすには、ぜひ途中経過を評価できる世の中であってほしい。「頑張れ」ってよく言われるから、頑張りが報われなかったときに挫折感を感じるんですよ。逆に報われると本当に嬉しい。今の世の中なんて学校の勉強が社会で全く役に立たないですよね。努力が無意味なものになる。その虚しさったらないと思いませんか?で、そんな風に努力が報われるかどうか気にしてるのに実際は結果重視に近い社会で生きてる。そういうジレンマがなくなれば日本はもっと伸び伸びと生活しやすい国になるんじゃないでしょうか。

と書いてるうちにだんだんわけ分からなくなってきた…。この問題スケールが大きすぎる(笑)。
フィンランド語には「頑張る」という言葉がないと知って衝撃を受け、こんなことをあてもなく考えてみたのでした。相手を励ますときは「幸運を祈ってます」「耐えてね」みたいに言うらしいです。とりあえず外国のことを知ると日本の良い所、悪い所がよく分かるとまとめとこう(無理やり…)。

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